5月26日、兵庫県姫路市に出かける用事がありました。
思っていたより早く用事が済んでしまい、このまま帰るのもなぁと考えていると、ふと、姫路モノレールのことを思い出し、廃線跡をたどってみることにしました。
姫路にモノレールがあったの!?
1966年(昭和41年)、姫路で戦後最大といわれる規模で「姫路大博覧会」が開催されました。会場は手柄山といい、姫路駅から南西へ約2kmほどのところでした。

ウィキペディアなどの記事によると、将来は市内を囲むように環状線の建設や、なんと鳥取まで延伸させることも考えていたそうです。
東京モノレールや大阪モノレールは、コンクリート製の橋げたの上をゴムタイヤで走行していますが、姫路モノレールはロッキード式と呼ばれる、橋げたの上に鉄のレールを敷き、その上を金属の車輪で走行する方式だったそうで、長所は最高160km/hの高速走行ができること、短所は、騒音だそうです。
もし、100km/h以上の速度で姫路←→鳥取を結んでいたら、人や物の流れが今と全く違っていたものになったかもしれませんね。
大将軍駅
姫路モノレールには「大将軍駅」という中間駅が存在していました。
ただ、姫路駅までの距離が近すぎていたことから利用客がほとんどおらず、開業からわずか2年で休止してしまいました。
この駅も魅力は、何と言っても10階建ての高層マンションの3~4階部分がモノレールの駅という造りでしょう。しかも緩やかにカーブしているのです!
姫路モノレールは開業後8年で廃止されましたが、軌道の撤去に充てる予算がとれず、老朽化して危ない箇所をのぞき、最近まで放置されていました。
永く大将軍駅もその特異な姿を眺めることができたのですが、ついに2016年、取り壊しが決定しました。
今日は、そんなモノレール廃線跡をたどってみたいと思います。
姫路駅から西へ
現在、山陽百貨店や神姫バスターミナルがある場所に、姫路モノレール姫路駅が存在していました。ここから軌道は西へ延びています。
駅前は再開発が行われていて、どれだけ残っているか心配しながら歩くこと5分。
橋脚の跡を発見しました。
こんな感じに、建物の上に軌道が走っていたのです。
奥に見えるのが山陽電鉄の線路です。
橋げたは撤去に莫大な費用が掛かるため、放置されていたのですが、1984年に電線の落下事故が起きたことから、危ないところから撤去が始まっている状態です。
軌道下のお米屋さん
大将軍駅跡
写真を撮りながらゆっくりと10分ほど歩いたでしょうか。
こちらは、橋脚を緑で覆ってしまおうという計画で緑化された橋脚です。
かつて大将軍駅があった場所は、すっかり跡形もなくなって更地になっていました。
駅があった面影は、まったくありません。
軌道が残っていた!
大将軍駅跡から少し歩いたところに、わずか100mほどですが、軌道が残っているのを発見しました。
手柄山交流ステーション
姫路モノレールが廃止されたとき、車両は終端駅であった手柄山駅内に保存されていました。保存というより、解体する費用が取れず、放置していたという方が適切かもしれませんが。
とにもかくにも長らく非公開であったのですが、これが功を奏し、いい保存状態を保ったまま現在まで眠っていたのです。
2011年、姫路市は、手柄山駅付近を「手柄山交流ステーション」として整備し、姫路モノレールの公開に踏み切りました。ちなみに現市長は、姫路モノレールを建設したときの市長の三男だそうです。なにか、因縁めいたものを感じます。

コメントをどうぞ!